CANINE & FELINE NEUROLOGY ATLAS
神経回路をよむ犬と猫の脳と神経 ― 生理学・解剖組織学・支配領域
一本のニューロンに走る一瞬の電位変化から、大脳皮質の層構造、そして四肢の一本一本の末梢神経が支配する皮膚領域まで。犬と猫の神経系を「回路」として捉え直し、生理学・解剖組織学・支配領域という3つの視点から通して読めるように構成しました。
読みはじめる序章 ― INTRODUCTION
神経系を読み解く前に
脳神経系を学ぶ最大のハードルは、部位の名前が多いこと自体ではなく、「どの階層の話をしているか」が本によって行ったり来たりすることです。この章では、本書全体で共通して使う3つの軸 ― 構造的区分・機能的区分・情報の向き ― を先に整理し、以降の章がその軸のどこに位置する話なのかを迷わず読めるようにします。
1構造で分ける ― 中枢神経系と末梢神経系
神経系はまず解剖学的な位置によって、脳と脊髄からなる中枢神経系(CNS: central nervous system)と、そこから体の隅々まで伸びる末梢神経系(PNS: peripheral nervous system)の2つに大別されます。中枢神経系は頭蓋骨と脊柱管という骨性の器に収まり、髄膜と脳脊髄液に守られた「本部」であり、末梢神経系は12対の脳神経・脊髄神経・自律神経の末梢線維からなる「配線網」です。本書の第1〜4章は主に中枢神経系の内部構造を、第5〜7章は末梢神経系がどこをどう支配しているかを扱います。
2機能で分ける ― 体性神経系と自律神経系
末梢神経系はさらに機能によって2系統に分かれます。骨格筋の随意運動と、痛み・触覚・固有感覚など意識にのぼる感覚を担うのが体性神経系。一方、心拍・血圧・消化管運動・瞳孔径・唾液分泌など、意識に上りにくい内臓機能を自動調節するのが自律神経系で、互いに拮抗する交感神経と副交感神経の二重支配が特徴です(第7章で詳述)。臨床の場では「随意的に動かせるか」「意識的に感じられるか」を自問すると、いま自分がどちらの系の話をしているか整理しやすくなります。
3向きで分ける ― 求心性と遠心性
もう一つの軸が情報の向きです。感覚器から中枢へ情報を運ぶ線維を求心性(afferent, 感覚性)、中枢から効果器(筋・腺)へ命令を運ぶ線維を遠心性(efferent, 運動性)と呼びます。脳神経や脊髄神経の多くは求心性線維と遠心性線維を1本の神経の中に併せ持つ「混合神経」であり、第5〜6章の支配領域の表では、この求心性・遠心性の区別を必ず併記します。
本書での犬猫差の示し方
神経系そのものの基本設計に犬と猫で大きな違いはありませんが、体格差に由来する脊髄円錐の位置、瞳孔反応の見え方、特定領域の被毛による観察のしやすさなど、臨床上おさえておきたい種差があります。該当箇所には 犬 猫 のバッジを付けて示します。
臨床メモ
この形式の囲みでは、生理学・解剖学の知識が実際の神経学的検査でどう使われるかを短く補足します。読み飛ばしても本文の理解に支障はありませんが、臨床像との橋渡しとして活用してください。
それでは、神経系の最小単位であるニューロン1個が、どのようにして電気信号を生み出し、次の細胞へと伝えるのかから見ていきましょう。
第一章 ― PHYSIOLOGY
ニューロンの生理学 ― 情報を伝えるしくみ
脳から指先の皮膚まで、神経系が扱う情報はすべて「電気信号」と「化学物質」の組み合わせで運ばれます。この章では、1個のニューロンが静止状態からどのように電位を発生させ、軸索を伝わり、次の細胞に伝えるのかを追いながら、局所麻酔薬や有機リン中毒など臨床につながる基礎を押さえます。
1ニューロンの基本構造
ニューロン(神経細胞)は、他の細胞からの入力を受け取る樹状突起、代謝と統合の中心である細胞体(核と核小体、豊富なニッスル小体を含む)、そして電気信号を長距離運ぶ軸索から構成されます。軸索は末梢神経ではシュワン細胞、中枢神経では希突起膠細胞(オリゴデンドロサイト)が形成する髄鞘(ミエリン)で節々を覆われ、髄鞘の切れ目であるランヴィエ絞輪だけが細胞外液に露出しています。軸索の末端は軸索終末(シナプス終末)となり、次の細胞との接合部であるシナプスを形成します。
2静止膜電位 ― 電池としての細胞膜
刺激を受けていないニューロンの細胞膜は、内側が外側に対して約-70mVに分極しています。これが静止膜電位です。細胞外液はナトリウムイオン(Na+)に富み、細胞内液はカリウムイオン(K+)に富むという濃度勾配は、細胞膜上のNa+/K+-ATPase(ナトリウムポンプ)がATPを消費して能動的に維持しています(1回の輸送でNa+3個を細胞外へ、K+2個を細胞内へ運ぶため、電気的にも内側をより陰性にする方向に働きます)。さらに静止時の細胞膜はK+に対する透過性がNa+より格段に高いため、K+が濃度勾配に従って細胞外へ漏出し続け、膜電位はK+の平衡電位に近い値に落ち着きます。
臨床メモ ― 高カリウム血症と膜電位
副腎皮質機能低下症(アジソン病)などで血清K+が上昇すると、細胞外K+濃度が上がって静止膜電位が浅くなり(脱分極方向)、結果として電位依存性Na+チャネルが不活性化しやすくなります。これが高カリウム血症でみられる徐脈や不整脈、筋力低下の電気生理学的な背景です。
3活動電位 ― 全か無かの法則
樹状突起や細胞体への入力によって膜電位が閾値(おおむね-55mV前後)まで脱分極すると、電位依存性Na+チャネルが一斉に開口し、Na+が細胞内へ流入して膜電位は一気に正の値(オーバーシュート、+20〜+30mV程度)まで逆転します。直後にNa+チャネルは不活性化し、代わって電位依存性K+チャネルが開いてK+が流出することで膜電位は元に戻り(再分極)、一時的に静止電位よりも深く分極する過分極(アンダーシュート)を経て静止状態に復帰します。閾値を超えた刺激であれば波形の大きさは常に一定であり、これを全か無かの法則と呼びます。刺激の強さは、活動電位の大きさではなく発火頻度として符号化されます。
活動電位が発生している間、および直後の短い期間は、Na+チャネルが不活性化状態にあるため新たな活動電位を起こせない絶対不応期があり、続いてより強い刺激でなら発火できる相対不応期があります。この不応期の存在が、活動電位を軸索の一方向(細胞体側から終末側)にしか伝えない仕組みの一つになっています。
臨床メモ ― 局所麻酔薬の標的
リドカインなどの局所麻酔薬は、電位依存性Na+チャネルの細胞内側の孔に結合してNa+流入を阻害し、活動電位の発生そのものを止めます。細い無髄のC線維(痛覚)ほど少ない薬量でブロックされやすく、太い有髄のAα線維(運動・固有感覚)は最後までブロックが効きにくいため、硬膜外麻酔などで「痛みは取れるが運動はある程度残る」状態が起こり得ます。
4伝導速度 ― なぜ髄鞘が「速さ」を生むのか
活動電位は軸索を一定速度で伝わりますが、その速度は主に軸索の直径と髄鞘の有無で決まります。無髄線維では、興奮した部位から生じた局所電流がすぐ隣の膜を脱分極させ、そこでまた新たな活動電位が発生するという過程が軸索全長にわたって連続的に繰り返されます(連続伝導)。これに対して有髄線維では、髄鞘に覆われた部分は電気抵抗が高く電流が漏れないため、活動電位はランヴィエ絞輪から次のランヴィエ絞輪へと飛び飛びに「跳ぶ」ように伝わります(跳躍伝導)。電気的に興奮させる膜の面積が絞輪部分だけで済むぶん、跳躍伝導は連続伝導より格段に速く、かつエネルギー効率にも優れています。
| 線維型 | 髄鞘 | 直径 | 伝導速度(目安) | 代表的な機能 |
|---|---|---|---|---|
| Aα | 有髄(厚) | 太い | 70〜120 m/秒 | 骨格筋運動、固有感覚 |
| Aβ | 有髄 | 中〜太 | 30〜70 m/秒 | 触覚・圧覚 |
| Aδ | 有髄(薄) | 細い | 12〜30 m/秒 | 速い痛み(鋭い痛み)、冷覚 |
| B | 有髄(薄) | 細い | 3〜15 m/秒 | 自律神経節前線維 |
| C | 無髄 | 最も細い | 0.5〜2 m/秒 | 遅い痛み(鈍い痛み)、温度覚、自律神経節後線維 |
臨床メモ ― 脱髄性疾患
髄鞘が壊れると跳躍伝導が成立しなくなり、伝導速度の著しい低下や伝導ブロックが起こります。犬のジステンパーウイルス感染に伴う脱髄性脳脊髄炎はその代表例で、病変部位に応じて運動失調や不全麻痺など多彩な神経症状を示します。
5シナプス伝達と神経伝達物質
活動電位が軸索終末に到達すると、電位依存性Ca2+チャネルが開いてCa2+が流入し、これが引き金となってシナプス小胞が終末膜と融合し(開口放出)、神経伝達物質がシナプス間隙へ放出されます。伝達物質は拡散してシナプス後膜の受容体に結合し、直接イオンチャネルを開くイオンチャネル型受容体、あるいはGタンパク質を介して間接的に作用する代謝型受容体を通じて、後細胞に興奮性シナプス後電位(EPSP)または抑制性シナプス後電位(IPSP)を生じさせます。複数の入力が時間的・空間的に加算されることで、後細胞が発火するかどうかが決まります(シナプス統合)。
| 伝達物質 | 作用 | 主な部位・臨床との関連 |
|---|---|---|
| アセチルコリン(ACh) | 興奮性(骨格筋)/ 部位により抑制性 | 神経筋接合部、副交感神経節後線維、自律神経節前線維。重症筋無力症はACh受容体への自己抗体が関与し、犬では巨大食道症を伴うことが多い。有機リン中毒はアセチルコリンエステラーゼを阻害しChが蓄積する。 |
| ノルアドレナリン | 興奮性/抑制性(受容体依存) | 交感神経節後線維の主伝達物質。心拍数増加、瞳孔散大などに関与(第7章)。 |
| グルタミン酸 | 興奮性 | 中枢神経系で最も主要な興奮性伝達物質。 |
| GABA | 抑制性 | 脳内の主要な抑制性伝達物質。ベンゾジアゼピン系薬剤(抗痙攣薬・鎮静薬)の作用点。 |
| グリシン | 抑制性 | 脊髄における主要な抑制性伝達物質。破傷風毒素はグリシン放出を阻害し、強直性痙攣を引き起こす。 |
| ドパミン | 興奮性/抑制性(受容体依存) | 大脳基底核の運動調節に関与。 |
この章で見た「電位を発生させ、伝え、次の細胞に渡す」という一連の仕組みは、脳の中でも、脊髄でも、末梢の一本一本の神経でも共通の基本原理です。次章からは、この基本単位が無数に集まって形づくる脳そのものの構造を見ていきます。
第二章 ― GROSS ANATOMY & HISTOLOGY
脳の解剖と組織学
犬と猫の脳は、ヒトと同じ基本設計(大脳・間脳・脳幹・小脳)を持ちながら、発達した嗅覚系や、表面に多くの脳回・脳溝を持つ「回脳」構造など、肉食獣らしい特徴を備えています。この章では吻側(鼻先側)から尾側(脊髄側)へと脳を旅しながら、各部の役割と、それを支える組織像を確認します。
方向用語について
四足動物の神経解剖では、ヒトの「前後上下」ではなく吻側(rostral, 鼻先方向)・尾側(caudal, 尾方向)・背側(dorsal, 背中側)・腹側(ventral, お腹側)という体軸に沿った用語を用います。本書でもこの表記で統一します。
1大脳(終脳)― 皮質と大脳基底核
大脳半球は左右一対で、表面は脳回(gyrus)と脳溝(sulcus)によって折りたたまれた回脳(gyrencephalic)構造をとります。表層の灰白質が大脳皮質で、感覚情報の最終的な認知処理、随意運動の企画、学習・記憶などの高次機能を担います。皮質の深部には、運動の調節に関わる大脳基底核(尾状核・被殻・淡蒼球など)や、記憶(海馬)・情動(扁桃体)に関わる辺縁系の構造が埋め込まれています。犬猫は嗅覚に大きく依存する動物であり、大脳の吻側端にある嗅球と、それに続く嗅索・梨状葉が相対的によく発達しています。
臨床メモ ― 滑脳症(リッセンセファリー)
まれに脳回の形成が不十分な滑脳症が先天的に見られる犬種(ライオンハウンドやラサアプソなど複数の犬種での報告があります)があり、認知機能異常や難治性の痙攣発作の原因となることがあります。正常な回脳構造を知っておくことは、画像診断で異常を見抜く土台になります。
2間脳 ― 視床と視床下部
大脳半球の内側、脳の中心に位置するのが間脳です。間脳の大部分を占める視床は、嗅覚を除くほぼすべての感覚情報(視覚・聴覚・体性感覚など)が大脳皮質に到達する前に必ず経由する中継核であり、「感覚情報の玄関口」と表現されます。視床の腹側にある視床下部は体重にしてわずか数グラムながら、体温調節、摂食・飲水行動、概日リズム、そして下垂体を介した内分泌系の制御という、生命維持に直結する自律機能の統合中枢です。視床下部の下には下垂体が漏斗を介してぶら下がり、視床下部の背側後方には概日リズムに関わる松果体が位置します。
3脳幹 ― 中脳・橋・延髄
間脳と脊髄の間をつなぐ脳幹は、吻側から中脳(mesencephalon)・橋(pons)・延髄(medulla oblongata)の3部からなり、脳神経12対のうち10対(第III〜XII脳神経)がここから起始します(第5章で詳述)。
- 中脳
- 背側の上丘(視覚反射の中継)と下丘(聴覚反射の中継)、腹側の大脳脚(下行運動路)、そして黒質・赤核など錐体外路性の運動調節に関わる核を含みます。瞳孔対光反射の中枢経路もここを通ります(第7章)。
- 橋
- 小脳との間を結ぶ橋核が大脳皮質からの運動情報を中継し、小脳へ送ります。三叉神経(V)・外転神経(VI)・顔面神経(VII)・内耳神経(VIII)が橋のレベルで出入りします。
- 延髄
- 呼吸中枢・心血管中枢(循環調節)・嘔吐中枢など、生命維持に直結する自律機能の中枢が集中する部位です。舌咽神経(IX)・迷走神経(X)・副神経(XI)・舌下神経(XII)が起始し、腹側では下行してきた運動線維の大部分が対側に交叉する錐体交叉が起こります。
臨床メモ ― 錐体交叉と病変側の判定
下行性の運動路(皮質脊髄路)の大部分は延髄の錐体交叉で対側へ渡るため、脳幹より吻側(大脳)の病変は反対側の運動障害を、脊髄の病変は同側の運動障害を示すのが原則です。神経学的検査で左右どちらに病変があるかを絞り込む際の基本となる考え方です。
4小脳 ― 協調運動の司令塔
小脳は運動を起こすのではなく、大脳皮質や脊髄・前庭系からの情報をもとに運動のタイミング・強さ・滑らかさを調整し、平衡感覆と筋緊張を保つ役割を担います。正中の虫部と左右の小脳半球からなり、断面では白質が樹木の枝のように分岐する樹枝状体が特徴的に見えます(図2-2)。小脳皮質は分子層・プルキンエ細胞層・顆粒層の3層構造を持ち、プルキンエ細胞が唯一の出力細胞として小脳核へ抑制性の出力を送ります。
臨床メモ ― 猫の小脳形成不全
妊娠中または新生子期に猫汎白血球減少症ウイルス(FPV)に感染すると、分裂の盛んな小脳の顆粒細胞が破壊され、小脳形成不全を伴って生まれてくることがあります。生後から歩様がぎこちない企図振戦・運動失調(小脳性運動失調)を示しますが、非進行性で知能や寿命への影響は基本的にないことが知られています。
5灰白質・白質と大脳皮質の層構造
脳のどの断面を見ても、組織は灰白質と白質に大別されます。灰白質はニューロンの細胞体・樹状突起・無髄線維・シナプスが密集する部分で、大脳や小脳では表層(皮質)に、脳幹や脊髄では内部の核として存在します。白質は髄鞘に覆われた有髄軸索の集まりで、大脳では皮質の深部を、脊髄では逆に周辺部を占めます。白質は機能によって、同側半球内の皮質同士をつなぐ連合線維、左右の半球をつなぐ交連線維(脳梁が代表)、皮質と下位中枢(脳幹・脊髄)をつなぐ投射線維に分類されます。
大脳皮質(新皮質)を顕微鏡で見ると、細胞の大きさ・密度・形態が異なる6層構造が観察されます。とくに第V層の大型錐体細胞は、その軸索が脳幹や脊髄まで直接投射する主要な出力細胞です。
中枢神経系にはニューロン以外に、支持・栄養・防御を担うグリア細胞(神経膠細胞)が存在し、その数はニューロンと同等かそれ以上とされます。
脳の骨組みが分かったところで、次はその脳を物理的・化学的に守る髄膜と脳脊髄液のシステムを見ていきます。
第三章 ― MENINGES & CSF
髄膜・脳室系と脳脊髄液
中枢神経系は3層の膜と、その中を満たす脳脊髄液(CSF)によって物理的な衝撃と化学的な変動から守られています。この章では髄膜の層構造、CSFがつくられ循環し吸収されるまでの経路、そして脳を血液中の物質から選別して守る血液脳関門を扱います。CSF採取は犬猫の神経疾患診断の柱の一つでもあります。
1髄膜 ― 3層の防御膜
脳と脊髄は、外側から硬膜・くも膜・軟膜という3層の髄膜に包まれています。硬膜は線維性結合組織からなる丈夫な膜で、頭蓋腔では骨膜と密着しますが、脊柱管内では骨から離れており、その間隙(硬膜外腔)を脂肪と静脈叢が満たします。この硬膜外腔は犬猫でも硬膜外麻酔・硬膜外注射の標的となる臨床的に重要な空間です。くも膜は硬膜の内面に接する薄い膜で、その下に軟膜との間のくも膜下腔があり、ここをCSFが満たします。軟膜は脳・脊髄の表面の脳回・脳溝の凹凸に沿って密着する最も内側の膜です。
臨床メモ ― CSF採取部位
犬猫のCSF採取は、後頭骨と第一頸椎の間から穿刺する小脳延髄槽穿刺(cisterna magna puncture)と、腰仙部くも膜下腔を狙う腰椎穿刺が代表的な手技です。全身麻酔下で正確な体位保持が必須であり、頭蓋内圧が亢進している症例では脳ヘルニアのリスクがあるため適応を慎重に判断します。
2脳室系とCSFの産生
脳の内部には4つの脳室(左右の側脳室、第三脳室、第四脳室)が連続する空洞として存在し、その壁の一部にある脈絡叢(血管に富む組織を上衣細胞が覆う構造)が脳脊髄液(CSF)を産生します。CSFは電解質組成が血漿に近いものの、タンパク質濃度が非常に低い透明な液体で、脳と脊髄を物理的な衝撃から保護する緩衝材としての役割、老廃物を洗い流す役割、そして脳を浮力によって実質的に軽くする役割を担います。
3CSFの循環と吸収
CSFは側脳室でつくられた後、室間孔を通って第三脳室へ、中脳水道を通って第四脳室へと流れ、そこから一部は脊髄の中心管へ、大部分は第四脳室の正中口・外側口を通ってくも膜下腔へ出て、脳と脊髄の表面全体を循環します。最終的にはくも膜顆粒を通じて硬膜静脈洞の静脈血へと吸収され、循環が完結します。
臨床メモ ― 水頭症
CSFの産生・循環・吸収のバランスが崩れて脳室内に過剰にCSFが貯留した状態が水頭症です。チワワ・ヨークシャーテリアなどの小型犬種やブラキセファリック(短頭種)で先天性のものが比較的よくみられ、ドーム状の頭蓋、行動異常、痙攣発作などを呈することがあります。
4血液脳関門
全身の毛細血管の多くは物質をある程度自由に通しますが、脳の毛細血管内皮細胞同士は密着結合(タイトジャンクション)で強固に接着しており、さらに周囲を星状膠細胞の足突起と周皮細胞が取り囲むことで、血液中の物質が自由に脳実質へ移行するのを防ぐ血液脳関門を形成しています。これにより脳内環境は全身の代謝変動から隔離され安定に保たれますが、同時に多くの薬剤が脳へ届きにくくなる原因にもなります(脂溶性の高い薬剤や、能動輸送系を利用する薬剤は通過しやすくなります)。
臨床メモ ― 関門を持たない「例外区域」
延髄背側の最後野(area postrema)など一部の脳室周囲器官は、もともと血液脳関門を欠いています。最後野は血液中の毒物や薬物を直接感知できる化学受容器引金帯として働き、嘔吐反射の重要な入り口になっています。制吐薬マロピタントなどはこの経路に関連する受容体を標的とします。
脳という「本部」の構造と、それを守る仕組みを一通り確認しました。続く第4章では、本部から末梢へと情報を橋渡しする脊髄そのものの構造を見ていきます。
第四章 ― SPINAL CORD
脊髄の構造と機能
脊髄は単なる「電線の束」ではなく、脳と末梢神経を結ぶ情報の幹線であると同時に、反射という形でその場で判断を下す独立した処理装置でもあります。この章では脊髄の分節構成、断面の構造、そして上位運動ニューロン・下位運動ニューロンという臨床神経学の骨格となる概念を扱います。
1脊髄の分節構成と脊髄円錐
脊髄は頭側から頸髄(C1〜C8)・胸髄(T1〜T13)・腰髄(L1〜L7)・仙髄(S1〜S3)・尾髄という分節構造を持ち、各分節から左右1対ずつ脊髄神経が出ます。頸椎は7個しかありませんが頸髄分節は8個ある点に注意が必要です。発生の過程で脊柱管が脊髄よりも長く伸びるため、脊髄そのものは椎骨と同じ長さまで伸びきらず、脊髄円錐(脊髄の終わり)は目安として犬でL6〜L7椎体付近、猫ではやや尾側のL7〜仙骨付近に位置するとされます(個体差があります)。この結果、腰仙部より尾側の脊髄神経根は、脊柱管内を尾側へ長く並走してから各椎間孔を出ることになり、これが尾側に伸びる神経根の束馬尾を形成します。
臨床メモ ― 馬尾症候群
大型犬(とくにジャーマン・シェパードなど)では、腰仙移行部での馬尾の圧迫(腰仙部狭窄症)により、後肢の跛行、尾の下垂、排尿・排便のコントロール障害などを呈する馬尾症候群が比較的よくみられます。脊髄円錐そのものは既に頭側で終わっているため、この病態はいわゆる「脊髄」の病変ではなく「末梢神経根」の病変として理解されます。
2脊髄の断面構造 ― 灰白質と白質
脊髄を輪切りにすると、中心部にH字(蝶)型の灰白質があり、それを白質が取り囲みます。これは大脳とは逆の配置です。灰白質は背側の後角(感覚性ニューロンが末梢からの入力を受け取り中継する)、腹側の前角(骨格筋を支配する下位運動ニューロンの細胞体が存在する)、そして胸腰髄・仙髄の一部にみられる側角(自律神経節前ニューロンの細胞体、第7章)に分けられます。白質は上行性の感覚路と下行性の運動路がそれぞれ決まった位置を通る「配線束」の集まりです。
3上位運動ニューロンと下位運動ニューロン
臨床神経学において極めて重要な区別が、上位運動ニューロン(UMN)と下位運動ニューロン(LMN)です。大脳皮質から始まり脳幹・脊髄内を下行する経路上のニューロンをUMN、脊髄前角(または脳神経運動核)から筋肉まで直接軸索を伸ばすニューロンをLMNと呼びます。LMNは「最終共通路」であり、これが障害されると当該筋は完全に指令を失って弛緩性麻痺となります。一方UMNは主にLMNの活動を調整・抑制する役割を持つため、UMNが障害されるとLMNへの抑制が外れて痙性麻痺(筋緊張亢進・反射亢進)を呈します。この2つの鑑別が、神経学的検査でどのレベルに病変があるかを絞り込む出発点になります。
| 所見 | UMN障害 | LMN障害 |
|---|---|---|
| 筋緊張 | 亢進(痙性) | 低下〜消失(弛緩性) |
| 脊髄反射 | 亢進または正常 | 低下〜消失 |
| 筋萎縮 | 軽度・緩徐(廃用性) | 高度・急速(神経原性) |
| 病変の主な部位 | 大脳・脳幹・脊髄の下行路 | 脊髄前角・脊髄神経根・末梢神経・神経筋接合部・筋 |
4脊髄反射 ― 現場で完結する回路
脊髄は脳からの指令を待たずに、その場で刺激に応じた運動出力を生み出す反射弓を備えています。反射弓は基本的に「受容器 → 求心性(感覚)ニューロン → (脊髄内の介在ニューロン) → 遠心性(運動)ニューロン → 効果器(筋)」という経路をとります。膝蓋腱反射に代表される伸張反射は、筋紡錘が感知した急な筋の伸張が求心性線維を介して直接同じ脊髄分節の運動ニューロンを興奮させる単シナプス反射で、脊髄反射の中でも最も速い経路です。一方、熱い物に触れた際に肢を引っ込める屈曲反射は介在ニューロンを複数介する多シナプス反射で、屈筋を興奮させると同時に対側の伸筋を興奮させる交叉性伸展反射を伴うこともあります。
臨床メモ ― 脊髄反射から分かること
膝蓋腱反射は主にL4〜L6脊髄分節(大腿神経)の機能を反映します。反射が消失していればその分節のLMNまたは求心路の異常(あるいはその分節そのものの病変)を、反射が保たれている、あるいは亢進していれば、それより頭側のUMN病変を疑う手がかりになります。第5〜6章で扱う支配領域の知識と組み合わせることで、神経学的検査の所見から病変部位を絞り込む「神経学的局在診断」が可能になります。
脊髄という幹線の構造を押さえたところで、第二部ではいよいよ「どの神経がどこを支配しているか」という支配領域の話に入ります。まずは脳幹から直接出る12対の脳神経から見ていきましょう。
第五章 ― CRANIAL NERVES
12対の脳神経とその支配領域
脳幹を中心に、大脳・小脳から直接出る12対の脳神経は、頭部・頸部の感覚と運動のほぼすべてを担っています。番号と名前を暗記するだけでなく、「どこから出て、どこを支配し、どの臨床検査でその機能を確認できるか」まで結びつけて理解することが、神経学的検査を使いこなす近道です。下の図は脳の腹側面(下から見た図)で、番号をクリックすると詳細が表示されます。
1インタラクティブ脳神経マップ
脳神経の番号(I〜XII)をクリックすると、名称・分類・機能・支配領域がここに表示されます。
212対の脳神経 一覧
| 番号 | 神経名 | 分類 | 主な機能・支配領域 |
|---|---|---|---|
| I | 嗅神経 | 感覚性 | 鼻腔嗅上皮からの嗅覚情報 |
| II | 視神経 | 感覚性 | 網膜からの視覚情報。対光反射の求心路 |
| III | 動眼神経 | 運動性 | 背側直筋・腹側直筋・内側直筋・腹側斜筋・眼瞼挙筋、副交感性に瞳孔括約筋と毛様体筋(対光反射・遠近調節の遠心路) |
| IV | 滑車神経 | 運動性 | 背側斜筋(脳の背側面から出る唯一の脳神経) |
| V | 三叉神経 | 混合性 | 顔面・頭部・角膜の知覚(眼神経・上顎神経・下顎神経の3枝)、咀嚼筋(側頭筋・咬筋など)の運動 |
| VI | 外転神経 | 運動性 | 外側直筋・眼球後退筋 |
| VII | 顔面神経 | 混合性 | 表情筋(眼輪筋・口輪筋など)の運動、涙腺・下顎下腺/舌下腺の副交感性分泌、舌吻側2/3の味覚 |
| VIII | 内耳神経(前庭蝸牛神経) | 感覚性 | 蝸牛神経(聴覚)、前庭神経(平衡覚・頭位の感知) |
| IX | 舌咽神経 | 混合性 | 咽頭筋の運動、耳下腺・頬骨腺の副交感性分泌、舌尾側1/3の味覚、咽頭・頸動脈小体の感覚 |
| X | 迷走神経 | 混合性 | 咽頭・喉頭筋の運動、胸腹部内臓(心臓・肺・消化管など脾彎曲部まで)への広範な副交感性支配 |
| XI | 副神経 | 運動性 | 僧帽筋・胸骨頭筋・腕頭筋(頸部の運動) |
| XII | 舌下神経 | 運動性 | 舌内在筋・舌外来筋(舌の運動) |
覚え方
「感覚性・運動性・混合性」の並びは、I II(感覚)→ III IV(運動)→ V(混合)→ VI(運動)→ VII(混合)→ VIII(感覚)→ IX X(混合)→ XI XII(運動)という交互パターンで整理すると覚えやすくなります。
3脳神経検査との対応
神経学的検査で行う脳神経検査の多くは、1つの反射に複数の脳神経(求心路と遠心路)が関わっている点を理解すると解釈しやすくなります。
| 検査 | 求心路 | 遠心路 | 見るポイント |
|---|---|---|---|
| 対光反射(PLR) | II 視神経 | III 動眼神経 | 光刺激で瞳孔が収縮するか |
| 威嚇瞬目反応 | II 視神経 | VII 顔面神経 | 瞬目するか(小脳・視覚路も関与) |
| 眼瞼反射・角膜反射 | V 三叉神経 | VII 顔面神経(角膜反射はVI・VIIも) | まばたきするか |
| 嚥下反射(咽頭反射) | IX 舌咽神経 | IX・X | 咽頭が収縮するか |
| 舌の左右対称性 | ― | XII 舌下神経 | 舌の偏位・萎縮がないか |
臨床メモ ― 求心路と遠心路を分けて考える
片眼に光を当てても両眼が反応しない場合、求心路(II)の異常が疑われますが、反対の眼にだけ光を当てたときに正常に収縮するなら、光を当てた側の視神経の問題である可能性が高くなります。逆に光を当てた眼が収縮せず、反対の眼(対光反射の間接反応)は収縮する場合は、遠心路(III)側の異常が示唆されます。求心路・遠心路を分けて考える視点は、他の脳神経検査にも共通して応用できます。
各問題を選んで理解度を確認しましょう。何度でもやり直せます。
Q1. 瞳孔対光反射の遠心路(瞳孔を収縮させる指令)を担う脳神経はどれか?
対光反射の求心路はII(視神経)、遠心路はIII(動眼神経、瞳孔括約筋への副交感性線維)です。
Q2. 舌の運動(突出・左右への動き)を支配する脳神経はどれか?
舌の内在筋・外来筋の運動はXII(舌下神経)が支配します。舌の味覚(吻側2/3はVII、尾側1/3はIX)と混同しないよう注意しましょう。
Q3. 脳の背側面から出る、唯一の例外的な脳神経はどれか?
IV(滑車神経)だけが中脳の背側面(下丘の尾側)から出て、対側の背側斜筋を支配します。
Q4. 胸腹部内臓(心臓・肺・消化管など)への副交感神経支配を最も広く担うのはどれか?
X(迷走神経)は頭部を除く体幹の内臓の大部分に副交感神経を送る、脳神経の中で最も分布域の広い神経です(第7章)。
Q5. 眼瞼反射でまぶたを閉じる(遠心路の)働きを担う脳神経はどれか?
眼瞼反射は求心路がV(三叉神経、顔面の知覚)、遠心路がVII(顔面神経、眼輪筋を収縮させまぶたを閉じる)という組み合わせです。
脳神経は頭部・頸部を支配しますが、体幹や四肢の感覚・運動は脊髄神経が担当します。次章では脊髄神経がどのように神経叢を形成し、皮膚と筋肉を分担しているかを見ていきます。
第六章 ― SPINAL NERVES & PLEXUSES
脊髄神経と末梢神経叢
体幹と四肢の感覚・運動は、脊髄の各分節から出る脊髄神経が担当します。とくに四肢では複数の脊髄神経が組み合わさって神経叢(プレクサス)を形成し、そこから運動・感覚それぞれに特化した末梢神経が枝分かれします。「どの神経が麻痺すると、どんな歩様になるか」を支配領域とセットで理解すると、跛行や不全麻痺の原因を絞り込む力がつきます。
1脊髄神経の基本構成
脊髄神経は、脊髄から出る感覚性の背根(背根神経節を含む)と運動性の腹根が椎間孔の手前で合流して形成される混合神経です。椎間孔を出た直後に背側枝(脊柱に沿う背部の筋と皮膚を支配)と腹側枝(体幹の腹外側や四肢に向かう、より太い枝)に分かれます。四肢を支配する腹側枝は単独で末梢に向かうのではなく、隣接する複数分節の腹側枝が線維を交換し合いながら網目状の神経叢を形成し、そこから改めて特定の筋群・皮膚領域を受け持つ末梢神経が再編成されて出ていきます。
頸神経叢(C1〜C5あたり)は主に頸部の筋を支配しますが、臨床上とくに重要なのが横隔神経(主にC5〜C7由来)です。横隔神経は横隔膜を支配し、これが正常に働かなければ自発呼吸そのものが成立しません。
臨床メモ ― 高位頸髄病変と呼吸
横隔神経の起始(おおよそC5〜C7)より頭側で脊髄が重度に障害されると、四肢麻痺に加えて横隔膜の運動まで失われ、生命に関わる呼吸不全に直結します。頸部脊髄疾患の重症度評価では、四肢の状態だけでなく呼吸様式の観察が欠かせません。
2腕神経叢 ― 前肢を支配する神経
前肢は主にC6〜T2の脊髄神経腹側枝が形成する腕神経叢から出る神経群によって支配されます。中でも橈骨神経は肘関節・手根関節・指を伸展させる筋群(体重を支える際に肢を突っ張る動作)を支配する最も重要な神経で、これが麻痺すると肢を伸展できず、いわゆる「ナックリング」(手背を地面に擦る歩様)を呈します。
| 神経 | 脊髄分節(目安) | 主な運動支配 | 障害時の特徴的所見 |
|---|---|---|---|
| 橈骨神経 | C7〜T1 | 肘・手根・指の伸展筋群 | 肢を伸展できず荷重不能、手背をナックリングする |
| 正中神経 | C8〜T1 | 手根・指の屈筋群(尺骨神経と共同) | 単独障害は比較的稀、手掌側の感覚低下 |
| 尺骨神経 | C8〜T2 | 手根・指の屈筋群、手根の外側支持 | 手根が過伸展しやすくなる |
| 筋皮神経 | C6〜C8 | 肘関節の屈曲(上腕二頭筋など) | 肘を屈曲しにくくなる |
| 腋窩神経 | C7〜C8 | 肩関節の屈曲・外旋 | 肩の動きが制限される |
3腰仙神経叢 ― 後肢を支配する神経
後肢はL4〜S2あたりの脊髄神経腹側枝が形成する腰仙神経叢から出る神経に支配されます。大腿神経は膝関節を伸展させる大腿四頭筋を支配し、膝蓋腱反射の遠心路でもあります。体の中で最も太い神経である坐骨神経は大腿の尾側を下り、膝窩部で脛骨神経(足根関節を伸展・指を屈曲)と総腓骨神経(足根関節を屈曲・指を伸展)に分かれます。
| 神経 | 脊髄分節(目安) | 主な運動支配 | 障害時の特徴的所見 |
|---|---|---|---|
| 大腿神経 | L4〜L6 | 大腿四頭筋(膝関節伸展) | 膝を伸展できず起立困難、膝蓋腱反射の消失 |
| 坐骨神経 | L6〜S2 | 大腿二頭筋など(股関節伸展・膝関節屈曲)、脛骨神経・総腓骨神経の起始 | 足根から先の運動・知覚が広範に障害 |
| 総腓骨神経 | 坐骨神経由来 | 足根関節の屈曲、指の伸展 | 足背をナックリングする(腓骨頭周囲は損傷しやすい) |
| 脛骨神経 | 坐骨神経由来 | 足根関節の伸展、指の屈曲 | 足根が過屈曲位(飛節が沈む)になる |
臨床メモ ― 総腓骨神経は損傷を受けやすい
総腓骨神経は腓骨頭のすぐ周囲を通るため皮下に近く、外傷や長時間の圧迫(不適切な保定・包帯なども含む)で損傷を受けやすい神経として知られます。手術後の保定や包帯管理の際には、この神経の走行を意識しておくことが医原性の神経障害を防ぐことにつながります。
4デルマトームと皮筋反射
個々の脊髄神経が支配する皮膚の帯状領域をデルマトーム(皮膚分節)と呼びます。隣接するデルマトーム同士は大きく重なり合うため、1本の神経根だけが障害されても知覚脱失として明瞭に現れないことが多く、実際の臨床では末梢神経ごとの「自律支配域」(他の神経と重ならない領域、たとえば橈骨神経なら手背、脛骨神経なら足底)を確認する方が病変の特定に有用です。
胸腰髄の病変の位置を絞り込む上で臨床的に有用なのが皮筋反射(パニキュラス反射)です。背部の皮膚をつまむと、その刺激が求心性に脊髄を上行し、頸膨大部(C8〜T1、外側胸神経)から皮筋(体幹の皮筋)への遠心路を介して、刺激部位の左右で体幹の皮膚がピクッと収縮します。
臨床メモ ― 皮筋反射で病変レベルを絞り込む
背部の皮膚を尾側から頭側へ向かって順につまんでいき、皮筋の収縮が起こらなくなる境界を探します。求心路は脊髄を長く上行してから頸膨大部で遠心路に切り替わるため、反射が消失する境界は実際の脊髄病変部位よりも1〜2分節ほど尾側にずれる傾向がある点に注意して評価します。
四肢の末梢神経が「どこを支配するか」を理解したところで、次章では、意識には上りにくいものの生命維持に直結する自律神経系(交感神経・副交感神経)の支配領域を見ていきます。
第七章 ― AUTONOMIC NERVOUS SYSTEM
自律神経系 ― 意識にのぼらない支配領域
心拍、消化管の動き、瞳孔の大きさ ― これらは私たちが意識的に命令しなくても、常に体の状態に応じて自動調整されています。その司令塔が自律神経系で、互いにブレーキとアクセルのように働く交感神経と副交感神経の二重支配が特徴です。この章では両者の解剖学的な起始の違いと、臨床でよく遭遇するホルネル症候群の局在診断を扱います。
1交感神経系 ― 胸腰系流出
交感神経の節前ニューロンの細胞体は胸髄・腰髄(おおよそT1〜L4/L5)の側角に存在します(胸腰系流出)。節前線維は比較的短く、脊柱の両側を縦走する交感神経幹(または腹腔神経節などのより末梢の椎前神経節)でニューロンを換え、そこから標的臓器まで長い節後線維が伸びます。節前線維の伝達物質はアセチルコリン、節後線維の伝達物質は主にノルアドレナリンです。心拍数増加、瞳孔散大、消化管運動の抑制など、いわゆる「闘争か逃走」反応を担います。
2副交感神経系 ― 頭仙系流出
副交感神経の節前ニューロンの細胞体は脳幹(脳神経III・VII・IX・Xに含まれる)と仙髄(S1〜S3)に存在します(頭仙系流出)。交感神経とは逆に節前線維が長く、標的臓器のすぐ近く、あるいは臓器壁内の神経節でニューロンを換えるため節後線維は短いのが特徴です。節前・節後とも伝達物質はアセチルコリンです。心拍数減少、消化管運動の促進、瞳孔収縮、唾液・涙液分泌の促進など、「休息と消化」を担います。
3主要臓器への効果
| 臓器 | 交感神経の効果 | 副交感神経の効果 |
|---|---|---|
| 心臓 | 心拍数・収縮力を増加 | 心拍数を減少 |
| 気管支 | 拡張 | 収縮 |
| 瞳孔 | 散大(散瞳筋収縮) | 収縮(瞳孔括約筋収縮) |
| 消化管運動・分泌 | 抑制 | 促進 |
| 膀胱 | 排尿筋弛緩・尿道括約筋収縮(蓄尿) | 排尿筋収縮(排尿を促進) |
| 唾液腺 | 少量の粘稠な唾液 | 大量の漿液性唾液 |
| 立毛筋 | 収縮(被毛が逆立つ) | 関与なし |
4臨床の窓 ― ホルネル症候群
眼への交感神経支配は、視床下部から始まり3つのニューロンを介して眼に到達する長い経路をとります。第一次ニューロンは視床下部から胸髄上部(T1〜T3付近)まで下行し、第二次ニューロン(節前線維)は胸髄から出て頸部の交感神経幹を頭側へ上行して頭側頸神経節に至り、第三次ニューロン(節後線維)が中耳の近くを通って眼(瞳孔散大筋・眼瞼平滑筋・第三眼瞼の平滑筋)に至ります。この経路のどこが障害されても、瞳孔縮小(縮瞳)・眼瞼下垂・眼球陥凹・第三眼瞼突出という4徴候を示すホルネル症候群が起こります。
臨床メモ ― どのニューロンが障害されたかを絞り込む
第一次ニューロンの障害(脳幹・頸髄の病変)ではホルネル症候群に加えて他の神経症状(不全麻痺など)を伴うことが多く、第二次ニューロンの障害(頸部・前縦隔の病変)、第三次ニューロンの障害(中耳炎など)ではホルネル症候群が単独で現れやすいなど、随伴症状の有無が病変部位を絞り込む手がかりになります。
ここまで、電気信号を生むニューロン1個から、脳の構造、脊髄、そして脳神経・脊髄神経・自律神経の支配領域までを一通り見てきました。終章では、これらの知識を実際の神経学的検査でどう組み合わせて使うかを整理します。
終章 ― BRIDGE TO THE CLINIC
臨床への橋渡し ― 神経学的局在診断の考え方
神経学的検査の目的は、病名を当てることではなく、まず「神経系のどこに問題があるか」を絞り込むことです。これを神経学的局在診断と呼びます。本書で見てきた支配領域の知識は、まさにこの絞り込みのための地図です。最後に、これまでの内容を実際の検査の流れに沿って統合します。
1局在診断の4つの問い
- ① 意識レベル・精神状態は正常か
- 異常があれば大脳または脳幹の広範な障害を疑います(第2章)。
- ② 脳神経に異常はあるか
- 複数の脳神経に異常があれば脳幹病変を強く示唆します(第5章)。
- ③ 四肢の異常パターンは何か
- 左右対称か非対称か、UMN徴候かLMN徴候か、前肢と後肢のどちらに出ているかを確認します(第4・6章)。
- ④ 自律神経徴候はあるか
- 瞳孔径の左右差、排尿・排便の異常などがあれば、その支配経路(第7章)から病変を絞り込みます。
2脊髄の4つの局在ゾーン
四肢の症状パターンから脊髄病変のおおよそのレベルを絞り込む際は、前肢を支配する頸膨大部(C6〜T2、腕神経叢の起始)と、後肢を支配する腰膨大部(L4〜S3、腰仙神経叢の起始)を境界とした4つのゾーンで考えるのが定石です。
| 病変ゾーン | 前肢 | 後肢 | 特記事項 |
|---|---|---|---|
| C1〜C5 | UMN徴候 | UMN徴候 | 四肢すべてに痙性の不全麻痺〜麻痺 |
| C6〜T2(頸膨大部) | LMN徴候 | UMN徴候 | 前肢は弛緩性、後肢は痙性というギャップが特徴 |
| T3〜L3 | 正常 | UMN徴候 | 前肢は正常、後肢のみ痙性の不全麻痺〜麻痺。皮筋反射の評価が有用 |
| L4〜S3(腰膨大部) | 正常 | LMN徴候 | 後肢は弛緩性、排尿・排便障害を伴うことが多い |
本書を振り返って
序章で整理した「構造・機能・向き」という3つの軸、第1章のニューロン1個の電気生理、第2〜4章の脳と脊髄の構造、そして第5〜7章の支配領域 ― これらはすべて、目の前の1頭の患者の症状から病変部位を推理するための、ひとつながりの地図です。犬と猫、それぞれの体格や品種特性による細かな違いを踏まえながら、この地図を実際の症例に重ね合わせて読み解く力を磨いていってください。
本書は教育・学習を目的とした電子ブックであり、実際の診断・治療方針は各症例の全身状態や追加検査を踏まえて専門的に判断されるべきものです。