CHAPTER 01
はじめに
レプトスピラ症(Leptospirosis)は、レプトスピラ属の病原性スピロヘータの感染によって引き起こされる人獣共通感染症である。世界中に広く分布するが、特に温暖で降水量の多い地域や、洪水後の環境で発生が増加する傾向がある。イヌにおいては急性の腎障害や肝障害を主体とする全身性感染症として現れ、無症状の保菌状態から致死的な劇症型まで臨床像の幅が広いことが特徴である。
近年はワクチン普及率の変化や気候・都市環境の変化に伴い、都市部で飼育されているイヌでも感染例が報告されており、犬種や生活環境を問わず注意が必要な疾患として位置づけられている。
また、レプトスピラ症はヒトにも感染する人獣共通感染症であり、感染イヌの尿や体液を介して飼い主や動物医療従事者に感染するリスクがある。診療にあたっては標準予防策の徹底が求められる。本書では、イヌのレプトスピラ症について、感染経路、発症に至る病態機序、そして臨床の場で用いられる検査法を中心に解説する。
POINT
レプトスピラ症は人獣共通感染症(zoonosis)である。疑い症例を取り扱う際は、手袋の着用や尿の適切な処理、手指衛生などの標準予防策を徹底する。
CHAPTER 02
病原体の特徴
レプトスピラ症の原因菌は、スピロヘータ門に属するレプトスピラ属(Leptospira)の細菌である。細長いらせん状の菌体を持ち、両端がフック状に湾曲していることが形態学的特徴である。グラム陰性菌に分類されるが、菌体が非常に細いためグラム染色ではとらえにくく、暗視野顕微鏡や鍍銀染色、蛍光抗体法などで観察されることが多い。両端の軸糸(内鞭毛)による活発な回転・並進運動能力を持ち、この運動性の高さが組織侵入能力に寄与していると考えられている。
病原性を持つレプトスピラは複数の菌種(L. interrogans、L. kirschneri、L. borgpetersenii など)に分類され、さらに表面抗原の違いにより250種類以上の血清型(serovar)に細分される。血清型ごとに好んで保菌する動物種(維持宿主)が異なり、この違いが感染経路や地域による発生傾向の差を生み出している。
イヌの臨床で重要な血清型と主な維持宿主
| 血清型(serovar) | 主な維持宿主 | 備考 |
| Icterohaemorrhagiae | ドブネズミなどの齧歯類 | 重度の黄疸・出血を伴う劇症型と関連 |
| Canicola | イヌ | イヌ自身が維持宿主となり得る |
| Grippotyphosa | 野生齧歯類、アライグマ等 | 湿地・農村部での感染に関連 |
| Pomona | 家畜(ウシ、ブタ)、野生動物 | 農場環境での曝露に関連 |
| Bratislava | ハリネズミ、ウマ等 | 軽症〜不顕性感染が多い |
環境中でのレプトスピラは、温暖(至適温度はおよそ28〜30℃前後)で中性からやや アルカリ性の、流れの緩い水や湿った土壌中で数週間から数か月にわたり生存できる。一方で、乾燥、直射日光(紫外線)、極端な酸性・アルカリ性環境、通常の消毒薬には弱く、これらの条件下では速やかに感染性を失う。
CHAPTER 03
感染経路
レプトスピラは、腎臓の近位尿細管に定着して長期間排菌を続ける保菌動物(維持宿主)からの尿を介して環境中に広がる。齧歯類(特にドブネズミ)、アライグマ、スカンク、オポッサムなどの野生動物に加え、家畜やイヌ自身も維持宿主となり得る。これらの動物は臨床症状を示さないまま尿中に菌を排出し続けることが多く、感染源として重要である。
環境中に排出されたレプトスピラは、水たまり、池、用水路、湿った土壌などに生息し、他の動物への感染源となる(間接伝播)。イヌは、こうした汚染水や湿った土壌との接触、あるいは保菌動物の尿・組織との直接接触(直接伝播)によって感染する。
主な侵入門戸
レプトスピラは、次のような部位・経路から宿主の体内に侵入する。
- 口腔粘膜、鼻腔粘膜、結膜などの粘膜
- 外傷や擦過創のある皮膚
- 汚染水の経口摂取
- (頻度は低いが)交尾や胎盤を介した感染
発症リスクを高める要因
屋外飼育や放し飼い、狩猟犬・農場飼育犬、湖沼・河川・用水路での遊泳や飲水、降雨後や洪水後の環境、都市部における野生齧歯類との接触機会の多さ、複数頭が同居する環境(繁殖施設・保護施設など)が発症リスクを高める要因として知られている。季節性としては、温暖で降水量の多い時期に発生が増加する傾向がある。
POINT
レプトスピラ症は「水」を介した感染症である。汚染された水たまりや土壌との接触歴の聴取は、疫学的に重要な手がかりとなる。
CHAPTER 04
発症機序
レプトスピラが感染門戸から侵入してから発症に至るまでの流れを、下図に沿って解説する。各段階のアイコンをクリック(またはEnterキー)すると、詳しい機序が表示される。
💧
環境中の
レプトスピラ
🩹
粘膜・皮膚
からの侵入
🩸
レプトスピラ血症
(全身播種)
🔥
血管内皮障害
血管炎
🫁
標的臓器
(腎・肝・肺)
保菌動物の尿によって汚染された水や土壌の中で、レプトスピラは適度な温度と中性〜弱アルカリ性の環境下であれば長期間感染性を保つ。乾燥や紫外線には弱く、環境条件が生存期間を大きく左右する。
レプトスピラは軸糸による活発な運動能力を利用して、口腔・鼻腔・結膜などの粘膜、あるいは傷のある皮膚から組織内へと侵入する。侵入時点では局所の炎症反応は乏しく、自覚されにくい。
侵入した菌は速やかにリンパ系・血流へと移行し、感染後数日以内に全身性のレプトスピラ血症を呈する。この時期、菌は補体系による攻撃を回避する機構(表層タンパク質による補体制御因子の獲得など)を備えており、宿主の自然免疫を逃れながら全身の諸臓器へ播種する。
全身に播種したレプトスピラは血管内皮細胞に直接的な傷害を及ぼすとともに、局所の炎症性メディエーターの産生を誘導し、血管炎(vasculitis)を引き起こす。この血管内皮障害が、腎・肝・肺それぞれの障害および出血傾向の病態基盤となる。
血流を介して到達したレプトスピラは、特に腎臓・肝臓・(重症例では)肺に高い親和性を示し、それぞれ特徴的な病態を形成する。以下でこれら臓器ごとの機序を詳しく解説する。
腎臓における機序
血流中のレプトスピラは、腎皮質の近位尿細管上皮細胞の細胞外基質成分(フィブロネクチンやラミニンなど)との親和性が高く、糸球体傍組織から尿細管へと移行し、上皮細胞に接着・定着する。この病態は、菌体成分による尿細管上皮細胞への直接的な細胞傷害と、間質への好中球・単核球浸潤による間質性腎炎(interstitial nephritis)の両者が関与する複合的なものである。尿細管機能障害が進行すると急性尿細管壊死に至り、糸球体濾過量の低下、すなわち急性腎障害(AKI)を呈する。加えて、腎の尿細管腔は液性免疫が及びにくい免疫学的な逃避部位となり得るため、臨床的に回復した後も長期にわたり腎に定着し、尿中に排菌を続ける保菌状態(腎キャリア)に移行することがある。
肝臓における機序
肝臓における病態は、腎臓ほど顕著な肝細胞の直接的壊死を伴わないことが多く、主たる機序は肝細胞間の細胞間結合(タイトジャンクション)の破綻による胆汁うっ滞と考えられている。肝細胞の配列の乱れや微細な構造破壊により、ビリルビンの排泄障害が生じ、高ビリルビン血症・黄疸として現れる。腎障害に伴う代謝産物の蓄積や全身性の血管内皮障害も、肝機能検査値の異常に複合的に関与する。
肺における機序(肺出血症候群)
一部の血清型・症例では、肺胞毛細血管における重度の血管炎を背景として、広範な肺胞内出血を来す「レプトスピラ肺出血症候群(Leptospiral Pulmonary Hemorrhage Syndrome, LPHS)」を呈することがある。急性の呼吸窮迫を伴う重篤な病態であり、ヒトの重症型(ワイル病)でよく知られるが、イヌでも報告例がある。低酸素血症の進行は急速であり、早期の集中的な呼吸管理を要する。
凝固系への影響
血管内皮障害と全身性の炎症反応は、血小板減少症や軽度の凝固異常を引き起こし、点状出血、鼻出血、消化管出血などの出血傾向として現れることがある。重症例では播種性血管内凝固(DIC)様の病態を呈することもある。
POINT
レプトスピラ症の病態の中心は「血管内皮障害による血管炎」である。腎・肝・肺の障害は、いずれもこの血管病変を共通の基盤として発生する。
CHAPTER 05
臨床症状
臨床症状は感染した血清型、菌量、宿主の免疫状態などにより大きく異なり、無症状の不顕性感染から数日で死に至る劇症型まで幅が広い。以下に発症機序と対応させながら主な症状を整理する。
急性期には、発熱、元気・食欲の低下、嘔吐、筋肉痛(歩様のこわばりとして観察されることがある)、脱水などの非特異的な全身症状がみられる。
腎症状としては、病初期の多飲多尿(尿細管機能障害を反映)から、病態の進行に伴う乏尿・無尿への移行がみられる。これは急性腎障害の進行を反映する重要な所見である。
肝症状としては黄疸(可視粘膜・皮膚の黄染)がみられることがあり、これは肝臓における胆汁うっ滞を反映する。
出血傾向としては、点状出血、歯肉出血、鼻出血、下血などがみられることがある。血管内皮障害と血小板減少がその背景にある。
重症例では、頻呼吸・努力性呼吸などの呼吸器症状(肺出血症候群を疑う所見)や、ショック症状を呈し、急速に全身状態が悪化することがある。
CHAPTER 06
検査・診断
レプトスピラ症の診断は、病歴(汚染水への曝露歴やワクチン接種歴など)、臨床症状に加え、一般臨床検査所見と特異的診断検査を組み合わせて総合的に行う。特に、病期によって各検査の感度が大きく変動する点を理解しておくことが重要である。
一般臨床検査所見
血液学的検査: 血小板減少症、核左方移動を伴う白血球増多、(慢性化した例では)貧血がみられることがある。
血液生化学検査: 腎障害を反映した尿素窒素(BUN)・クレアチニンの上昇、肝障害を反映したALT・AST・ALP・GGTおよび総ビリルビンの上昇がみられる。電解質異常(低ナトリウム血症、低カリウム血症など)や低アルブミン血症を伴うこともある。
尿検査: 蛋白尿、顆粒円柱を主体とする円柱尿、尿細管機能障害を反映した糖尿、尿比重の低下(等張尿〜低張尿)がみられることが多い。腎障害の程度や経過を追ううえで有用な情報が得られる。
特異的診断検査
MAT(顕微鏡的凝集反応): 現在も血清診断のゴールドスタンダードとされる検査で、複数の血清型の生菌抗原に対する患者血清の凝集反応を顕微鏡下で観察し、抗体価を測定する。確定診断には、急性期と回復期(通常2〜4週間後)のペア血清で抗体価が4倍以上上昇することの確認が基本となる。単一サンプルでの高抗体価も参考所見となるが、ワクチン接種による抗体や近縁血清型間の交差反応との鑑別が必要であり、感染極初期は抗体価上昇前で偽陰性となり得る点にも注意する。
PCR検査: 血液または尿を検体とし、菌の遺伝子を検出する。抗体産生に先立つレプトスピラ血症期(感染早期)の診断に有用であり、MATでは検出できない病初期の診断を補完する。尿PCRは病期がやや進行してから陽性率が高まる傾向がある。抗菌薬投与開始後は感度が低下するため、可能な限り抗菌薬投与前の検体採取が望ましい。
ELISA/IgM迅速検査: 院内で実施可能な即時検査として、IgM抗体を検出するELISAやイムノクロマト法の迅速検査キットが用いられる。早期診断の補助となるが、血清型の同定はできない。
培養検査: 特殊培地(EMJH培地など)を用いた培養は、発育に数週間を要し、感度も低いため、日常臨床での実用性は乏しい。疫学調査や研究目的で用いられることが多い。
暗視野顕微鏡による直接観察: 尿沈渣を暗視野顕微鏡で観察し、らせん状の菌体を直接確認する方法もあるが、感度・特異度がともに低く、他の菌体成分との誤認による偽陽性も多いため、単独での診断的価値は限定的である。
主な検査法と検体・有用な時期の比較
| 検査法 | 検体 | 有用な時期 | 特徴 |
| MAT | 血清(ペア) | 病期進行後 | ゴールドスタンダード、交差反応に注意 |
| PCR | 血液・尿 | 病初期 | 抗体産生前でも検出可能 |
| IgM ELISA/迅速検査 | 血清 | 病初期〜 | 院内即時検査、血清型は不明 |
| 培養 | 血液・尿 | ― | 感度低・時間を要する、研究向け |
診断戦略のまとめ
病初期(発症後数日以内)はPCR検査が有用であり、病期が進んだ段階ではMATによるペア血清での抗体価上昇の確認が診断の中心となる。いずれの検査も単独では偽陰性・偽陽性のリスクがあるため、病歴・臨床所見・一般臨床検査所見と合わせて総合的に判断することが重要である。
POINT
MATとPCRは互いの弱点を補い合う関係にある。病日を意識した検査選択が、診断精度を高める鍵となる。
CHAPTER 07
まとめ
イヌのレプトスピラ症は、汚染された水や土壌を介して粘膜・皮膚から侵入したレプトスピラが、レプトスピラ血症を経て全身の血管内皮に傷害を及ぼし、腎・肝・肺を中心とした多臓器障害を引き起こす人獣共通感染症である。
感染経路の理解(保菌動物・環境水を介した伝播)、発症機序の理解(血管内皮障害を基盤とした腎・肝・肺の障害)、そして病期に応じた検査の選択(病初期のPCR、病期進行後のMATペア血清)は、いずれも臨床現場での早期診断・早期治療につながる重要な知識である。
また、人獣共通感染症としての側面から、疑い症例の診療にあたっては診療スタッフ・飼育者双方の曝露防止(手袋の着用、尿の適切な処理、手指衛生の徹底)にも留意する必要がある。
POINT
レプトスピラ症は予防できる感染症でもある。流行血清型に応じたワクチン接種と、汚染環境への曝露機会の低減が基本的な予防策となる。