まず「CIE」という言葉が指すものを正確に定義し、猫という種に特有の分類上の注意点を押さえる。
「IBD」(Inflammatory Bowel Disease、炎症性腸疾患)という語は、3週間以上持続する慢性的な消化器症状(嘔吐・下痢・体重減少・食欲不振など)を示し、既知の原因が除外され、かつ組織学的に腸粘膜の炎症所見が確認された症例に対して用いられてきた除外診断名です。この基本的な考え方は犬と共通しています。
近年は犬と同様、猫でも単一の「IBD」という病名よりも、慢性炎症性腸症(CIE:Chronic Inflammatory Enteropathy)という傘概念(アンブレラターム)を用いることが標準になりつつあります。
猫のCIEを学ぶうえで、犬の分類体系との最大の違いは、「炎症」と「消化管型リンパ腫(特に低悪性度・小細胞性リンパ腫)」が明確な境界を持たず、連続したスペクトラムを形成しうるという点です。組織形態だけでは重度のリンパ球形質細胞性腸炎と低悪性度リンパ腫を区別できないことがあり、この鑑別は猫の消化器診療における最大の難所の一つです(第4章で詳しく扱います)。
猫のCIEは中年齢〜高齢(おおむね7歳以上)での発症が多く、慢性の嘔吐・下痢・体重減少を示す高齢猫における最も頻度の高い消化器疾患のひとつです。純血種、特にシャム猫や東洋系品種での発症率がやや高いとする報告があり、遺伝的素因の関与を示唆しますが、雑種猫を含めどの猫種でも発生しうる点は変わりません。
高齢猫で慢性的な嘔吐・下痢・体重減少を評価する際は、CIEだけでなく甲状腺機能亢進症 No.023 猫の甲状腺 を必ず鑑別に挙げる必要があります。多食にもかかわらず体重が減少するという典型像を欠く非定型例も存在し、消化器症状が前面に出ることも珍しくありません。
犬と同様、猫の慢性腸症も「治療トライアルへの反応性」によって分類する考え方が広く採用されています。診断名を確定させてから治療を始めるのではなく、段階的な治療トライアルそのものが診断プロセスを兼ねるという発想です。
犬ではこの4分類に独立した重症度の軸として「蛋白漏出性腸症(PLE)」が加わりますが、猫のPLEは比較的まれです。その代わり、猫の臨床では次の2つの軸が特に重要になります。
猫の消化器診療では「炎症か腫瘍か」「腸だけの問題か、膵臓・肝臓を巻き込んでいるか」という2つの問いを常に持ちながら評価を進めることが、犬の診療との大きな違いです。本書はこの2つの軸を意識しながら、発症機序・病理・診断・検査・薬理を順にたどっていきます。
発症メカニズムを理解するための前提として、正常な腸管免疫のしくみを押さえる。
腸管は体表面積の大部分を占める最大の免疫器官であり、常に大量の食事抗原と腸内細菌にさらされています。この環境で「有害なものだけを排除し、無害なものには反応しない」という高度な選別を担うのが腸管関連リンパ組織(GALT)です。
健康な状態では、これらの組織は病原体には炎症性の応答を、食事抗原や常在細菌には寛容的な応答を選択的に示します。CIEの本質は、この「選別能力」が破綻することにあります。
腸管上皮は単層の細胞シートでありながら、管腔内の細菌・毒素・未消化抗原を体内から隔てる物理的バリアとして機能します。このバリアは大きく3つの要素からなります。
杯細胞(ゴブレット細胞)が分泌するムチン(主にMUC2)が形成する層で、細菌が上皮に直接接触するのを防ぐ第一線です。健康な小腸・大腸では、内側の密な層と外側の緩い層の二層構造を取り、内層はほぼ無菌に保たれます。
隣接する上皮細胞どうしを密に結合させる構造で、オクルディンやクローディンなどの膜蛋白質が関与します。この結合が緩むと、本来通過できない大きさの抗原や細菌成分が細胞間隙を通って粘膜固有層に侵入しやすくなります。これがいわゆる「リーキーガット(腸管透過性亢進)」です。
抗菌ペプチド(ディフェンシンなど)の分泌、分泌型IgAの管腔側への輸送、パターン認識受容体(TLRやNODファミリー)を介した細菌シグナルの感知など、上皮細胞は単なる「壁」ではなく能動的な免疫の担い手でもあります。猫は完全肉食性という食性の特殊性から、上皮のエネルギー代謝や粘液構成が食事内容の変化に敏感に反応するとされ、これは食事療法(第6章・第9章)の重要性の裏づけにもなります。
健康な腸管では、食事抗原や常在細菌に対して積極的に「反応しない」状態を作り出しています。これを経口免疫寛容と呼びます。
粘膜樹状細胞は管腔内抗原を取り込むと、炎症性ではなく制御性の性質を持つ形でT細胞に提示し、制御性T細胞(Treg)の分化を誘導します。Tregは抗炎症性サイトカインであるIL-10やTGF-βを分泌し、周囲のエフェクターT細胞の過剰な活性化を抑制します。この仕組みにより、腸管は病原体には反応しつつ、日々摂取する食物蛋白や共生細菌には反応しないという、絶妙なバランスを保っています。
CIEの発症メカニズムは、次章で述べる「バリア」「細菌叢」「免疫寛容」という3つの要素のいずれか、あるいは複数が同時に破綻することで説明されます。本章で扱った正常機能は、いわば病態を理解するための基準線(ベースライン)です。
猫の腸内細菌叢は、完全肉食性という食性を反映してファーミキューテス門の一部やプロテオバクテリア門の構成比が犬とは異なる傾向を示すことが報告されていますが、宿主の免疫系と共進化し、短鎖脂肪酸を産生して上皮のエネルギー源となり、病原性細菌の定着を競合的に阻害し、Tregの分化を促進するという役割は共通しています。
抗菌薬投与、食事内容の急激な変化、消化管運動の異常などによってこのバランスが崩れると、細菌叢の多様性が低下し、特定の菌群が優勢になるディスバイオシス(Dysbiosis)が生じます。これは次章で扱うように、CIEの発症・維持に深く関わっています。
CIEは単一の原因では説明できない、複数の要因が悪循環を形成する多因子性疾患である。
猫のCIEも、単一の原因菌や単一の遺伝子異常によって説明できる疾患ではありません。現在最も支持されている考え方は、①遺伝的素因、②腸管上皮バリアの機能不全、③腸内細菌叢の異常(ディスバイオシス)、④粘膜免疫寛容の破綻、という複数の要素が相互に作用し合い、一度成立すると自己増幅的な悪循環(vicious cycle)を形成するというものです。
シャム猫をはじめとする東洋系品種での発症率の高さは、遺伝的背景の関与を示唆します。ヒトや犬のIBDでは、細菌成分を認識するパターン認識受容体や上皮バリア関連遺伝子の多型が疾患感受性と関連づけられており、猫でも同様の自然免疫関連遺伝子の関与が想定されていますが、犬ほど大規模な遺伝解析は進んでいないのが現状です。
重要なのは、単一遺伝子疾患のように特定の遺伝子変異だけで発症が説明できるわけではなく、複数の遺伝的素因が環境因子・食事因子と組み合わさって初めて発症に至ると考えられている点です。この基本的な考え方は犬と共通しています。
CIE罹患猫の腸粘膜でも、タイトジャンクション構成蛋白の発現低下や粘液層の菲薄化が示唆されています。バリア機能が低下すると、本来であれば上皮を通過できないはずの細菌成分や未消化の食事抗原が粘膜固有層に侵入しやすくなり、免疫細胞を持続的に刺激する引き金になります。
粘膜固有層で産生される炎症性サイトカイン自体が、タイトジャンクションをさらに緩め、上皮細胞のアポトーシスを促進することも知られています。つまり「バリア破綻が炎症を招き、炎症がさらにバリアを破壊する」という自己増幅的な回路が成立し、これが図3-1に示した悪循環の起点になります。
慢性腸症の猫では、健康猫と比較して腸内細菌叢の多様性が低下するパターンがしばしば観察されます。この変化は原因であると同時に結果でもあり、炎症環境そのものが細菌叢組成を変化させる方向にも働きます。
便中細菌のリアルタイムPCRによる定量パネルをもとに、複数の主要な菌群の変化を統合して単一のスコアとして算出する指標です。もともと犬で開発された指標ですが、猫用に調整されたパネルも報告されており、細菌叢の乱れを客観的に追跡する補助的な検査として利用されます。
正常な腸管では制御性T細胞(Treg)が優位に働き、過剰な免疫応答にブレーキをかけています。CIEではこのバランスが崩れ、炎症性のエフェクターT細胞、特にIFN-γを産生するTh1細胞やIL-17を産生するTh17細胞が優位になることが示唆されています。これらのサイトカインは上皮細胞の傷害を促進し、さらに好中球やマクロファージを粘膜へ動員することで、局所の炎症を増幅させます。
猫の腸管免疫では、慢性的な抗原刺激が続く環境下で、特定のリンパ球クローンが選択的に増殖しやすいことも示唆されており、これが第4章で扱う「炎症から腫瘍への移行」という現象の背景にあると考えられています。
猫は完全肉食性であり、食事中の動物性蛋白質は量的にも質的にも腸管免疫系への最大の抗原負荷源です。特定の蛋白源に対する感作が疑われる症例が多いことは、新奇蛋白食や加水分解食への切り替えのみで症状が改善する「食事反応性腸症(FRE)」が慢性腸症の中で高い頻度を占めるという臨床データからも裏づけられます。
このほか、寄生虫感染や急性感染性腸炎の既往、多頭飼育環境でのストレスや消化管運動異常なども、バリア機能や細菌叢に影響を与え、悪循環の引き金となりうる環境因子として位置づけられます。
猫の消化器診療で最も緊張感を要する章。「炎症」と「腫瘍」の境界をどう見極めるかを中心に整理する。
慢性腸症の組織学的診断は、内視鏡による粘膜生検が第一選択です。粘膜生検は低侵襲である一方、粘膜固有層より深部の病変や限局性病変を見逃す可能性があるため、超音波検査で層構造の消失や腫瘤性病変が疑われる場合には、開腹による全層生検が選択されます。
世界小動物獣医師会(WSAVA)消化器標準化グループが策定した組織評価テンプレートは、犬だけでなく猫の消化管生検にも用いられます。粘膜の構造、上皮の傷害、炎症細胞浸潤(リンパ球・形質細胞、好酸球、好中球、マクロファージそれぞれの密度)を、正常・軽度・中等度・高度の4段階で評価する枠組みは共通です。
健常猫の腸粘膜にも一定数のリンパ球・形質細胞は常在しており、「炎症細胞が存在する」こと自体は異常ではありません。診断上重要なのは、その密度が正常範囲を超えているか、および粘膜構造の異常を伴っているかです。猫ではさらに、その炎症細胞集団が多様な細胞から構成されているか(多クローン性)、単一の細胞集団から構成されているか(単クローン性)という視点が加わります。
猫の慢性腸症の中で最も頻度が高い組織学的病型です。粘膜固有層にリンパ球と形質細胞を主体とする浸潤を認め、しばしば絨毛萎縮を伴います。臨床的には免疫抑制療法の対象になることが多い病型です。
好酸球を主体とする浸潤を特徴とします。診断にあたっては、寄生虫感染、食物有害反応、まれに好酸球性硬化性線維増殖症など、好酸球浸潤を来す他の病態を除外する必要があります。
上記2つが「炎症」の病型であるのに対し、低悪性度(小細胞性)消化管型リンパ腫は「腫瘍」に分類されます。しかし猫では、この境界が形態学的評価だけでは曖昧になることが少なくありません。次節で、この鑑別という猫特有の重要課題を独立して扱います。
高齢猫の慢性腸症を評価するとき、常に念頭に置くべき問いがあります。それは「これは重度のリンパ球形質細胞性腸炎なのか、それとも低悪性度(小細胞性)消化管型リンパ腫なのか」という問いです。両者は臨床症状・血液検査所見・画像所見が酷似しており、通常のHE染色による形態学的評価だけでは判別が困難な場合があります。
PARRによるクローナリティ解析にも偽陽性・偽陰性があり、単独の検査結果だけで確定診断とすることはできません。臨床症状、画像所見、免疫組織化学、クローナリティ解析を統合して総合的に判断する姿勢が不可欠です。実際には、この鑑別が最終的につかないまま、慎重な経過観察と治療反応性の評価を並行して進める症例も少なくありません。
重要な実務上のポイントとして、重度のLPEと低悪性度リンパ腫は、いずれもプレドニゾロンとクロラムブシルの併用療法が中心となるため、診断が完全には確定しなくても、治療方針自体は大きく変わらないことが多いという事実があります。この点は、鑑別に苦慮する臨床現場にとって重要な安心材料です。
CIEに特異的な症状は存在しない。高齢猫特有の鑑別疾患を漏れなく検討することが特に重要になる。
猫のCIEでは、慢性的な嘔吐(特に空腹時や食後の未消化物の嘔吐)、軟便〜下痢、緩徐な体重減少が主な症状です。犬と異なり、猫では「時々吐く」ことが日常的な訴えとして軽視されやすく、慢性嘔吐が実は消化器疾患のサインであることが見過ごされがちです。
犬ではCIBDAI・CCECAIというスコアリングシステムが広く確立していますが、猫ではこれに相当する評価指標(Feline Chronic Enteropathy Activity Index、FCEAIなど)の使用は研究報告の中にとどまり、犬ほど臨床現場に定着していないのが現状です。
厳密なスコアが確立していなくても、食欲・嘔吐頻度・便性状・体重を数値として記録し続けることは有用です。特に体重は、飼い主が家庭で定期的に測定・記録しやすく、治療反応性を追跡するうえで最も実用的な指標のひとつになります。
「CIE」は除外診断であるという原則を思い出してください。慢性の消化器症状を示す猫では、少なくとも以下のカテゴリーを系統的に検討する必要があります。
上記の鑑別診断を一つずつ検査で除外し、かつ食事トライアルにも反応しなかった場合に、内視鏡生検による組織学的評価へと進みます。特に高齢猫では、甲状腺機能亢進症とリンパ腫という2つの重要な鑑別を評価に組み込むことが、犬の診療との大きな違いとして意識すべき点です。次章では、この段階的な診断アプローチを具体的な手順として整理します。
「治療トライアルが診断を兼ねる」段階的アプローチに、猫特有の鑑別ステップを組み込む。
第1章・第5章で述べた考え方を、実際の診療の流れとして整理すると以下のようになります。
除去食トライアルは、診断的アプローチの中で最も重要かつ最初に行うべきステップです。新奇蛋白食または加水分解食を、期間中は他のフードやおやつを一切与えずに厳密に実施します。
猫は食事の急な変更を嫌がる(フードネオフォビア)ことがあり、切り替え自体が難航しやすい。数日〜数週間かけて徐々に新しい食事の比率を増やすなど、猫の摂食行動に配慮した移行が成功率を左右する。同居猫がいる多頭飼育環境では、他の猫のフードを口にしていないかの確認も欠かせない。
犬と同様、抗菌薬は腸内細菌叢の多様性を大きく低下させる可能性があり、猫でも安易な抗菌薬トライアルは推奨されない方向にあります。猫では犬の肉芽腫性大腸炎のような「特定の抗菌薬が明確に第一選択となる」病型は確立されておらず、抗菌薬トライアルの位置づけは犬以上に限定的と考えるべきです。詳細は第9章で扱います。
以下のような場合は、除去食トライアルを長引かせずに画像検査・内視鏡検査を優先します。
それぞれの検査が「何を見ているのか」「何を除外するためのものか」を目的別に整理する。
血液検査単独でCIEを診断することはできませんが、重症度評価と鑑別診断の両方に不可欠です。CBCでは慢性炎症に伴う軽度の非再生性貧血や好酸球増多(好酸球性腸炎で見られることがあるが必発ではない)を確認します。生化学検査では、総蛋白・アルブミン・グロブリンに加え、肝酵素(ALT、ALP)・ビリルビンを必ず含め、第8章で扱う肝胆道系の関与を見逃さないようにします。
血清コバラミン(ビタミンB12)は回腸で、葉酸は主に空腸で吸収されます。猫の慢性腸症では、犬以上にコバラミン欠乏の頻度が高いことが知られており、消化器疾患を評価するすべての猫でコバラミン測定を検討すべきとされます。
コバラミン欠乏は、それ自体が腸上皮の代謝・再生を障害し、食欲不振を助長し、他の治療への反応性を悪化させる悪循環を作ります。低値が確認された場合は、非経口(皮下注射)による補充を、原疾患の治療と並行して速やかに開始することが推奨されます。猫では欠乏の頻度と程度が大きいため、確定診断を待たずに経験的に補充を開始する臨床判断も一般的です。
fPLI(猫膵特異的リパーゼ)は膵炎のスクリーニングに、fTLI(猫トリプシン様免疫活性)は外分泌膵機能不全のスクリーニングに用いられます。猫の膵炎は犬に比べて特異的な症状に乏しく、食欲不振や元気消失といった非特異的症状のみのことも多いため、慢性腸症の評価時にはfPLIを積極的に測定することが推奨されます。
三臓器炎を疑う場合は、fPLI・肝酵素・ビリルビン・腹部超音波検査を組み合わせて、腸・膵臓・肝胆道系の3つを同時に評価する視点が欠かせません。
寄生虫検査は、直接塗抹に加えて遠心浮遊法を用い、複数回にわたって実施することで検出感度を高めます。若齢猫、多頭飼育・保護施設由来の猫で大腸性下痢を示す場合は、トリコモナス(Tritrichomonas foetus)のPCR検査を鑑別に加えることが重要です。通常の糞便検査では見逃されやすく、この原虫感染はしばしばCIEと臨床像が酷似します。
便中細菌叢の乱れを評価するDysbiosis Index(DI)は、猫用に調整されたパネルも報告されており、犬と同様に治療効果のモニタリング目的で補助的に活用できます。
第5章で述べたとおり、高齢猫の慢性消化器症状では甲状腺機能亢進症が重要な鑑別に挙がります。血清総T4値の測定は簡便かつ有用なスクリーニング検査であり、慢性腸症の精査を進める前段階で、あるいは並行して実施することが推奨されます。境界域の値を示す症例では、遊離T4やTSHの追加測定、あるいは期間をおいた再検査が必要になることもあります。
腹部超音波検査は、腸管壁の層構造・壁厚・腸間膜リンパ節に加え、猫では特に膵臓と肝胆道系を同時に評価できる点が重要です。
内視鏡検査では、胃・十二指腸に加え、可能な限り回腸・結腸まで評価します。肉眼所見が正常に見えても組織学的には炎症や腫瘍性変化が存在することが少なくないため、肉眼的評価だけで生検を省略してはいけません。
採取した生検材料はWSAVA標準化テンプレートに沿って評価されますが、第4章で述べたとおり、猫では必要に応じて免疫組織化学染色やPARRによるクローナリティ解析を追加することで、IBDと低悪性度リンパ腫の鑑別精度を高めることができます。
猫特有の解剖学的背景が生む、腸・膵臓・肝胆道系の複合病態。
三臓器炎(トライアディティス:Triaditis)とは、慢性腸症(CIE)・膵炎・胆管炎(胆管肝炎)の3つが同時に、あるいは連鎖的に発生する猫特有の病態です。これは偶然の併発ではなく、猫に特有の解剖学的構造に起因すると考えられています。
多くの猫では、総胆管と主膵管が合流し、共通の開口部(大十二指腸乳頭)を通って十二指腸に開口します。この解剖学的な近さ・共通性のため、腸管内の炎症や細菌が上行性に膵管・胆管へ波及しやすく、逆に膵臓・肝胆道系の炎症が腸管に影響を及ぼすことも起こりえます。犬では膵管と胆管の開口部が比較的独立していることが多く、この点が種差の一因とされています。
三臓器炎の成立には、複数の経路が想定されています。腸管のバリア機能が低下し細菌や炎症性メディエーターが共通乳頭を介して膵管・胆管へ波及する経路、腸内細菌叢の異常が胆汁うっ滞や上行性感染の土台を作る経路、そして慢性膵炎・胆管炎そのものが全身性の炎症を介して腸管免疫を刺激する経路などです。
いずれの経路が主体であっても、第3章で述べた「バリア機能不全・ディスバイオシス・免疫寛容破綻」という悪循環が、猫では腸管だけでなく隣接する膵臓・肝胆道系を巻き込む形で拡大しうるという点が、この病態を理解する鍵になります。
三臓器炎を疑う臨床的な手がかりは、CIEの症状に加えて、間欠的な食欲不振、軽度の黄疸、腹部の不快感などが重なって見られる場合です。ただし猫の膵炎・胆管炎は非特異的な症状(元気消失、食欲不振)のみで経過することも多く、積極的に疑わなければ見逃されます。
三臓器炎の治療は、CIEに対する食事療法・免疫抑制療法(第9章)を土台としながら、膵炎に対する鎮痛・支持療法、胆管炎に対する利胆薬(ウルソデオキシコール酸など)や、細菌感染が疑われる場合の抗菌薬を組み合わせる、集学的なアプローチになります。
猫は肝リピドーシス No.028 猫の肝リピドーシス のリスクが高い動物種です。食欲不振が続く症例では、原疾患の治療と並行して積極的な栄養介入(食欲刺激薬、必要に応じて経鼻・食道チューブによる強制給餌)を検討し、栄養状態の悪化を防ぐことが、三臓器炎管理において特に重要になります。
予後は、関与する臓器の数と重症度、診断・治療開始までの期間に左右されます。早期に複合病態として認識し、腸・膵臓・肝胆道系を同時に管理する視点を持つことが、良好な転帰につながります。
犬との薬理学的な種差、特に禁忌薬の違いを正確に理解することが猫の治療では欠かせない。
猫の慢性腸症の治療も、最も副作用が少なく侵襲性の低い介入から始め、反応が乏しい場合に段階的により強力な治療へ移行する「治療のはしご(step-up)」の考え方が基本です。
新奇蛋白食または加水分解食を長期的な管理食として継続します。猫は食事の切り替えに時間を要することが多いため(第6章)、飼い主への丁寧な説明とフォローアップが治療成功の鍵になります。栄養状態の維持そのものが治療の一部であり、体重減少が続く場合は積極的な栄養介入(9-6節)を並行して検討します。
猫のCIE単独に対して抗菌薬を第一選択とする明確な病型(犬における肉芽腫性大腸炎のような)は確立されていません。メトロニダゾールが経験的に用いられることはありますが、ディスバイオシス助長への懸念から、対象を絞らない長期投与は避けるべきです。三臓器炎における胆管炎への抗菌薬使用については第8章・9-7節を参照してください。
免疫抑制療法反応性のCIEに対する治療の中心はグルココルチコイド No.015 犬と猫のステロイド薬 です。猫はプレドニゾロンの活性代謝物への変換効率がやや低いとされ、一部の獣医師はプレドニゾロンよりもプレドニゾロン活性型(プレドニゾロンそのもの、あるいはより直接的に作用する製剤)を選好しますが、実臨床ではプレドニゾロンが広く使われています。急な中止は病態の再燃や医原性の副腎機能低下を招くため、必ず漸減して中止します。
猫は犬と比較してステロイド誘発性の糖尿病を発症するリスクが相対的に高いとされています。長期ステロイド投与を行う症例では、多飲多尿の有無、体重、可能であれば血糖値やフルクトサミンを定期的にモニタリングし、早期に糖尿病の徴候を捉える意識が必要です。
犬では慎重投与のもとで使用されるアザチオプリンですが、猫では特異体質性の重篤な骨髄抑制を引き起こすことが知られており、原則として禁忌です。犬の治療プロトコルをそのまま猫に外挿してはならない、種差の中でも特に重要な一例です。猫の免疫抑制療法では、後述するクロラムブシルやシクロスポリンが選択されます。
三臓器炎では、CIEに対する治療に加えて、膵炎に対する鎮痛管理(ブプレノルフィンなど)、制吐、そして胆管炎に対する利胆薬(ウルソデオキシコール酸)や、細菌感染が疑われる場合の抗菌薬(胆汁への移行性を考慮した薬剤選択)を組み合わせます。
胆管炎に細菌感染の関与が強く疑われる状況で、感染源を十分に評価しないまま高用量の免疫抑制療法を開始すると、感染を悪化させるリスクがあります。三臓器炎が疑われる症例では、免疫抑制療法を開始する前に、肝胆道系の感染性病態が十分に除外されているかを必ず確認します。
診断・治療を始めた後こそが本番。反応性の評価と長期管理の考え方を最後に整理する。
治療開始後は、体重・食欲・嘔吐頻度・便性状を定期的に追跡します。犬のように確立されたスコアリングシステムが定着していない分、猫では体重という客観的な指標をより丁寧に追いかけることが実務上のよりどころになります(第5章)。
一般的には、治療開始後2〜4週間を目安に最初の再評価を行い、反応が得られていればステロイドなどの漸減を開始します。反応が乏しい場合は、まず投薬・食事管理のコンプライアンスを確認したうえで、薬剤の変更・追加、そして診断の再検討(低悪性度リンパ腫や見落とした鑑別疾患がないか、第4章・第5章)を行います。
免疫抑制療法にも反応しない場合、猫では特に以下の視点での再評価が重要になります。
食事反応性の症例では、多くが長期的に良好な経過をたどります。免疫抑制療法反応性の症例でも、多くはステロイドを漸減しながら低用量での維持、あるいは休薬に至ることが可能です。低悪性度リンパ腫と診断された症例、あるいはその可能性を残したまま治療を続けている症例でも、プレドニゾロン・クロラムブシル併用療法によって長期の安定した生活の質が得られることが少なくありません。
猫のCIEは、犬と共通する「バリア・細菌叢・免疫寛容」の悪循環という土台の上に、①炎症と低悪性度リンパ腫が地続きであること、②膵臓・肝胆道系を巻き込む三臓器炎が起こりやすいこと、③アザチオプリンが禁忌であるなど薬理学的な種差が存在すること、という3つの猫特有の視点を重ねて理解する必要があります。目の前の猫が今どの段階にあるのかを意識しながら、本書の各章を診療の地図として役立てていただければ幸いです。